Fela Kuti

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*1938年にナイジェリアの首都ラゴス北部に位置する街、アベオクタで生まれたフェラ・アニクラポ・クティはもともとジャズに興味を持ち、1958年にロンドンの音楽大学に留学してからは、彼の興味はさらに本格的なジャズへと向かっていた。しかし、帰国後は、1960年代にアフリカを訪れたジェームス・ブラウンのファンクに衝撃を受け、その要素を吸収しながら、自らのサウンドに積極的に取り入れて行く。

*1969年、彼はアメリカへバンドを引き連れてツアーに出かけ、そこでマルコムXらによる黒人解放運動の影響を強く受けて帰国。そして、この後彼は、世界の黒人が連帯する事を目指し、その第一歩として、アフリカの統一を目標にかかげるようになり、そのための音楽活動をしてゆくようになっていく。
1974年にフェラは、ついに政府に反旗をひるがえし、「カラクタ共和国」というコミューンを設立する。しかし、そんな彼の国家内国家の設立が政府に認められるはずはなく、カラクタ共和国は警察と軍隊による襲撃を受け、彼は逮捕されてしまう。彼は刑務所からの出獄後、すぐにその獄中での出来事をもとに強烈なファンク・グルーブを持つ曲を作りあげ「アラグボン・クローズ」(1974発売)として発売。(アラグボンは刑務所の名前)さらに、襲撃事件については「カラクタ・ショウ」(1976年)、強制的に排泄物検査をさせられたことについては「エクスペンシブ・シット」(1975年)、そして彼らを襲った軍隊を批判して「ゾンビー」(1976年)など、次々に政府を批判するアルバムを発表していく。
その後も、カラクタ共和国は何度となく軍隊による襲撃や放火、強姦などの被害を受け続けるが、フェラはその都度新しいアルバムを発表し、果てしない闘いが続いていく。ついに彼はナイジェリアの大統領を目指すようになり、それに対する弾圧はさらに強まって行った。しかし、97年に他界するまで彼はけっしてその闘いから手を引かなかった・・・。

*圧倒的



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未知なる独断と偏見を

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