渋さ知らズ

大和。

*89年、発見の会公演リズムを不和大輔(ba.兼ダンドリスト)が担当全てはここから始まった。公演後の壮絶な打ち上げ時に渋さ知らズ結成。「渋さ知らズは,一度参加すると今後永久的にメンバーとして生涯を過ごすことになるのです。誰でも参加OK(現在はあまりに増えすぎてメンバー募集は一時中断)」を謳い文句に異常なまでの勢いで増殖を続け、渋さ知らズオーケストラともなると楽器だけで40人を越える人数が壇上に上がる。さらにこの人数に美術担当、踊り、お囃子、パフォーマーなどを加えて最大200人規模の集団とも言われる。それは生活向上委員会、はたまたフェラ・クティやマイルス・デイヴィス、サン・ラのオーケストラなどをある地点で凌駕し、最早オーケストラに留まらず一つの”観劇団”として機能している部分は多い。またキャリア、実力ともに兼ね備えた人たちから発する音楽性も多彩な様相を呈して独自の道を歩んでいる。2002年イギリスのグラストンベリーフェスティバルでの朝一の圧倒的なライブは地元紙も「今、日本は渋さ知らズだ!」と報じるほどでFuji Rockのオレンジコート開催の一端も担っている。またメンバー個々の活動も非常に活発。ライブに来るのもオールドなジャズファンから若者まで音楽を中心にあらゆる層を巻き込みそして享楽の彼方へ連れて行ってくれる。

*大所帯変態ファンクバンドは数あれど(そんなにないか?)これはちょっと常軌を逸したボリュームです。カオティックで最高。



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未知なる独断と偏見を

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