葦原将軍

狂ってるのはどっちだ!

*本名は葦原金次郎(1852-1937)。金沢の櫛職人で前田侯の馬車に乱暴して1882年東京府癲狂院に入院させられ、88歳で松沢病院で死去した。躁的誇大妄想を有し、葦原将軍、葦原帝と称し、参観者に勅語を売りつけ、手製の大礼服を着て一緒に記念撮影に入り料金を要求したりして、ジャーナリズム的人気者であった。痴呆的人格崩壊には陥らなかった。”

*日露戦争勃発の際に「相撲取りで一個師団を形成し、ロシアのトーチカを破壊せよ」や「万博を催し、各国要人が来日した際にはそれらを人質とせよ」。またあまりに有名になりすぎて乃木将軍との会見での爆弾発言、伊藤博文大臣に小遣いをせびって無視されるなど・・・とかく話題に事欠かなかった。

*筒井康隆は葦原将軍を主人公に『将軍が目醒めた時』を書いている。

*将軍の言動はその当時の社会構造をある視点から的確に批判していたようなのでマスコミが集るのもわかるのですが、「精神障害者だから免罪」みたいな解釈が生まれ、また作られたスター性の部分も感じられ、そこらへんの心理やマスコミュニケーションのあり方などを考えさせられます。



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未知なる独断と偏見を

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